2009年9月24日
「」。
物語はエピローグ、本編、エピローグ、あとがきにて締められる。
当然の事ながら物語は唐突に始まって、そして唐突に終わる。
いや、蛇口から流れる水のその刹那に見る瞬間と同じように、
其れはどこからが始まりかだなんて愚問の極みであり、またそれを外しては興じられないもの。
つくづく思うことだが、人の世には代えられない娯楽の代物。
人の生にはプロローグのプロローグ、エピローグのエピローグが、ある。
あとがきは存在しないし、結果という評価であるだけのこと。目次もまた同じ。
白紙の行間にこそその文字の因果があって、文字が白紙の行間を生んでいるのではない。
その白紙の行間が文字を浮き彫りにしている。
個人的には文字の造形は選り好みするが、さして文字の形状には興味が無い。
人は文字ばかりを求めてしまうと弱い生き物に成り下がるからだ。
ましてやその行間の空白を保つために文字を選ぶのは更に酷いと思っている。
けれどもそういった類の「物語」を知る機会は事実多くなっているし、より「バカ売れ」するらしい。
誰に薦められるわけではなく、たまたま手に取った物語だから僕を幸せにした。
それ以外のものを取っても、きっとそれはコーナーが違うだけできっと同じく幸せにした。
極論、それはたいした選択肢ではなかったことだと、そうエピローグには記すだろう。
書店よりも図書館、個々の本棚に置いてあるものを望んだ。
事実、当時よりも更に書店に並んでいるものに余り興味が無くなってしまった。
書き手が増えたり減ったりしたのが原因かもしれないが、
それをようやく自覚できるようになったのは、
これを形成する年月とその因果の真理、
名前を覚えてくれている友人の記憶と、その記憶にいるであろう僕個人の意識。
気付いたところで、そろそろこの人生もまた、
「ひとつの物語を終わらせる頃合かと考えている」
と作者は言わせるかもしれない。
そう感じている。
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- by MASATO KOIZUMI
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